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八丁堀の居酒屋のブログ、仙台の牛タン・・5
2019/12/19
仙台牛タンの生みの親「佐野啓四郎」
この人なくして牛タンを語ることはありえません。
戦後の話です。
当時は手軽にできる焼鳥屋が流行っていました。
牛タンの名店「味太助」の初代、佐野啓四郎も焼き鳥屋を
やっている人のうちの一人でした。
ただ焼鳥を売るだけではなく、豚肉や牛肉を焼いたりなど
してそれらがヒットしたりもしましたが、後から次々と
似たようなことをやるお店がでてきて、なかなか苦労した
ようです。
つまり、工夫して繁盛してもすぐに真似されちゃった
わけですね。
そこで、佐野社長の職人魂がこう思ったわけです。
『だれにも真似できないメニューを作ってやらぁ』
(セリフは筆者のイメージです。)
その頃、牛タンがうまいということを聞いていた佐野社長
が、試しに食べてみたところその味に魅了され、牛タンで
勝負するぞ!ということになりました。
当時は牛タンはまだまだ珍味の部類でした。
特別入手しやすいわけでもないため、時には牛タンを
かき集めるために、東北中を奔走したこともあったそうです。
日本人の好みの味付けや、カット、調理法など工夫に
工夫重ね、今の仙台牛タンの形が確立したと言います。
この時にテールスープも開発されたとされています。
牛タン定食のお供である、麦飯や漬物、テールスープの
セットである牛タン定食は定番ですよね。
今から60数年前の話です。
これらは、佐野社長からの流れをいまだに汲んでいます。
セットとして定番になっているということは、おそらく
牛タンに最高にマッチする絶妙な組み合わせだからと
思われていますが実は必ずしもそうではないのです。