八丁堀の居酒屋のオヤジが好きなPINK FLOYD・・その2
黎明期(1965年-1966年)[編集]
1965年、建築学校(リージェント・ストリート・ポリテクニック、
現ウェストミンスター大学)の同級生であったロジャー・ウォー
ターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスンの3人は、現代音楽
に関して論争を交わしたことがきっかけで「シグマ6」というバンド
を結成した。
当初はロジャーがギターを担当し、前述の3人の他にクライヴ・
メットカーフ(ベース)、キース・ノーブルとジュリエット・ゲイル
(共にボーカル)がメンバーに加わっていた。
その後、バンド名をティー・セット、アーキテクチュラル・
アブダブス、アブダブスと次々に変えながら活動を続けるが、
行き詰りから活動休止。
同年後半、ウォーターズ、ライト、メイスンの3人は旧友のシド・
バレットとギタリストのボブ・クロースを誘い、バンド名をピンク・
フロイド・サウンドに改めて再出発を図る(これはバレットが好
んだピンク・アンダーソン(Pink Anderson)とフロイド・
カウンシル(Floyd Council)という二人のアメリカのブルース
ミュージシャンの名前から拝借したもの)。
当初はブルースの他に、ローリング・ストーンズやザ・フーの曲を
コピーして演奏していたが、やがて即興演奏やリキッドライトを導入し、
独自の道を歩み出す。純粋なブルースを志向していたボブ・クロース
は方向性の違いからバンドを脱退、代わってバレットがリード・ギター
を担当することになる。
この頃からバレットは精力的に曲作りを始め、オリジナル曲の演奏が
次第に増えていった。
こうしてバンドは、バレットの感性をグループの軸に据えるようになる。
なお、ボブが脱退した際にバンド名をピンク・フロイド・サウンド
からピンク・フロイドに改名した。バンド名を短くしたのは、
当時のマネージャーの進言によるものであった。