八丁堀の居酒屋のおやじの独り言:牛タンの歴史
◆まずは、仙台牛たんの歴史など・・・。
今から約65年前、昭和27年に佐野啓四郎さんと言う方が仙台で牛たん焼き
の店、太助を始めました(ちなみに私の師匠の師匠です)。
進駐軍が駐屯して牛肉の消費量が増えた為、内臓やタンは余剰部分として
安く流通するようになったので、それ以前は焼き鳥屋さんだったのですが、
タン焼きの方法を研究して、できたのが仙台牛たん焼きの始まりです。
その後、昭和50年に喜助(本当はキは七が三つ)が太助の援助を得て
誕生してから、その後急激に増えて、仙台名物牛タン焼が広まりました。
喜助は仙台牛タン振興会の会長をやっているので、仙台牛タンの名を
全国的に広めたのは喜助の大河原さんの功績が大きいと思われます。
今では太助、喜助以外にも人気の牛タン店が仙台には数多くありま
すが、原点は太助で牛タンを有名にしたのが喜助なのです。
牛タンには麦飯と言うのが決まりのようになっていますが
元々太助を創業した佐野さんが貧乏な若者に腹いっぱい
安い金額で食べさせてあげたいためにコストの安い麦飯を
使ったことで牛タン+麦飯にとろろまでセットで付くこと
が牛タンの常識みたいになってしまったのです。
わすけでは麦飯よりも白米の方が絶対に美味しい!
と断言できるので、麦飯を10年前にやめました。
今は山形産のつや姫と言う美味しい白米を使っています。
時々、コストを節約するために麦を入れてないのですか?
と言われるとがっかりします。
麦飯よりも白米の方が高級なんですよ~~~!!
昔々、イケダハヤト首相が
「貧乏人は麦を食え!」と言って問題になったのです。
仙台牛タンと言うといまだに仙台牛のタンだと思っている方がいますが、
国産牛タンは流通量の少なさと高価な原価のため、とても扱えるものではなく、
仙台の牛タン店のすべてが輸入のタンに頼っています。
2003年の米国産輸入禁止以前は70~80%がアメリカ産でしたが、
今は70%近くがオーストラリア産かニュージーランド産です。
次いでメキシコ、ホンジュラス、カナダなどでアメリカ産の牛タンを使っている
ところはごく一部です。
わすけでは冷凍していないチルドのアメリカ産の牛タンを使って
いるのでコストが高く、ランチの価格ではとてもやってられない
原価になっったのでランチは2年前にやめざるを得ませんでした。
後のブログに書きますが、オーストラリア、ニュージーランドの牛は
牧草飼育です。一方アメリカと日本は穀物飼育です。
素人考えでは広い草原でのびのびと牧草を食べて育てられた牛の
肉と、狭い小屋に閉じ込められてでんぷん質の多い穀物飼料で育て
られたメタボな牛は前者の方が美味しそうに思えるかもしれませんが
サシの入った霜降りの牛肉と言うのは圧倒的に後者なのです。